妻は幸福になるものだ

七十三歳の老漢学者が、三十七歳の若い細君をうしろにしたがえて海岸を散歩し「ソレ達人〈大観ス」とサッマピワの「城山」を岬っているあいだに、若い細君は海中へ身を投じて自殺してしまった。これはご承知のように、ついこの間の新聞記事です。最愛の若い妻を死なせたこの老漢学者は、新聞記者の問いに答えて「ワシはほんとうにアレを愛していたし、アレもまたワシとの静かな生活に満足しているようだったのに!」といった返事をしています。しかし七十三歳の老人に、三十七歳の女の心理や生理がはたしてどれほど如実に理解できたでしょうか。きくも愚かな話です。妻をいたわり、やさしい言葉をかけるだけで、妻は幸福になるものだくらいに、この老漢学者は考えていたのではないでしょうか。彼等の性生活はどうだったかなどというやぽな話はいわないとして、とにかく、七十三の老人と三十七の女とでは、まるでなにもかもちがっています。男女の愛情にしたところで、この年齢の間隙をじゅうぶんにうずめることができるほど、すばらしい奇蹟力をもつものではありません。lとにかくこの老漢学者には妻の生理も、それから心理も、わからなかったといっていいと思います。わかるはずがないのです。そしていちばんいけないことはわかろうとしなかったことです。おたがいにもう少し水臭く距離をおいて眺め合い、できるだけ親しい仲間、友達となろうと努 めること、これが新しい夫婦道ではないかと私は考えます。少なくとも、妻をわかりきった女としてとりあつかうより、正体のわからぬ異性としてとりあつかい愛した方が、よけいな悲劇の発生率はグンとへるでしょう。妻の隅から隅まで、知りきったと思うからこそ、夫は他に正体のわからぬ女を愛人にもちたがるのです。

出典:結婚相談所 比較

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男と女、夫と妻

いかなる時代の夫婦にしたって、男と女、夫と妻とが、生理的にちがっていることはじゅうぶん知っています。これはあえて説明するまでもありません。ところで、人間は、生理と心理とが 深くからみ合ったじつに複雑怪奇な生物です。生理は心理に影響を与えます。狭心症は精神的ショックからしばしば発病します。そこで、妻の生理を知っている夫は、本来ならば、生理に伴なう心理をも知っているのでなければいけないはずです。だが、いままで、妻の生理にともなう心理を知ろうとしたような夫が、はたしてひとりでもいたでしょうか!早い話が、諸君の姿が妊娠したと仮定します。自分のお腹の中にひとりの小さな人間がいて、その人間が毎日手をつっぱったり足をのばしたりするlこういうとき、いったい人間はどんな気持がするもんだろう、こう考えてくれたような、思いやりと想像力に富んだ夫がかつていたでしょうか。かりにいたとしても、その思いやりに富んだ夫は、彼が男性であるかぎり、これをおそらく空想することもできない筈です。背中に一応の虫が這っていても異様な感じのするものです。歯医者のところで、たまたま医者の手が口中に入ったとき、どんなに変テコな気持がするものか。まして自分の下腹部に生き物がいて、それが動くのです。lこういう感覚、女だけの経験する感覚は、過半の男性には想像を絶していると思います。そこで、妊娠した妻に向って夫は、じつに、馬鹿のひとつ覚えみたいに、なるたけ安静にして、栄養物をとって、適当に運動してうんぬんと、田舎のヤブ医者そっくりの好い加減なことしかいえぬのです。妻にしてみれば、なんと通りいつぺんの男だろうと、イヤでも考えずにはおれなくなります。妻と夫はこうしてまったく別左の世界に住んでいるのです。これではいけないのです。おなじことは、会社で上役に叱られたとき、夫がどういう感じをもって家に帰るとか、いうこ とについてもあてはまります。妻は「さぞイヤだったでしょうね!」と通りいっぺんにいうだけです。これではしょせん、ふたりのよき仲間、。ハートナーとはいえますまい。

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「主婦」としてしか考えない夫

自分の「妻」を単に妻として、あるいは「主婦」としてしか考えない夫は、容易に他に女をもつことになります。だいたい、主婦という言葉を考えてゑてください。そのどこに色気があり、性的魅力があるでしょうか!「夜の未亡人」なら色気を連想させます。だが「夜の主婦」というのでは、雑巾つくりくらいしか思いうかばないじゃありませんか!新しい夫の途があるとすれば、それは妻を女として、性的愛情の対象として、ひとりの異性として、考え、そしてなによりも感ずることであり、新しい妻の途は、夫を単に自分の扶養者としてのみ眺めるかわりに、自分の協力者、あるいはひとりの親しい男性として考えることでなければなりません。ひとりの男とひとりの女とが結合して、そのまま夫婦になるのであって、結婚式と共に、男は扶養者に、女は主婦に早変りするのであってはならないと思います。「夫」というレッテル、「妻」という看板、それだけで相手を眺めかつ考えるのでは、十六世紀の夫婦道だというよりほかはありません。新しい時代の夫婦道のために、私は第二の原則を次のように書いてもいいように思います。(二)夫婦はたがいに男性と女性の生理的、心理的相違についてほんとうに理解をもつこと、少なくとも理解をもとうという心がまえをもつこと。夫婦間で問題が出たとき、複雑であればあるほど解決に時間が掛かります。がんばりましょう。楽しんで。。。。


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三角関係

さらにまた、これも一カ月ほど前の新聞記事でしたが、妻の他に女をこしらえ、女に金をみつぎすぎ、そのために、事業資金のヤリクリがつかなくなり、あげくのはて、子供三人と妻を道づれに一家心中をしようと十国峠に行き、自分だけはどうしても自殺ができないで、とうとう、自首してでた男の話がのっていました。この男がなぜ妻と三人の子供を道づれにするかわりに、情婦と心中しなかったのか、その間の理由は新聞記事だけではわかりませんが、ようするにこの男は、妻をひとりの女性として見るかわりにただ「妻」としてのみ眺めていたにすぎないように思われます。いいかえれば、妻とは、夫である自分が失敗しつまずいた時にも、無条件に自分を受け入れてくれ、自分といっしょに悲しんでくれる人間であり、同時にまた、妻とは夫のつごうしだいでどうにでも処分することのできる夫のもちものにすぎないlと、この男は考えていたのでありましょう。妻は妻であって女ではない。だから、妻の他に女をもってもいい、女と恋をしてもいい、いいかえれば、「女房は女房さ」というあの古めかしい、しかし今日の過半の男性のうちにも見いだされるという意味で、いちがいに古めかしいとはいいきれない思想が、この男をして、容易に三角関係を結ばせ、しかも、その三角関係の清算に、自分の所有物である「妻」を道づれにさせ たのでありましょう。前を向いて進んでいきましょう。あなた次第です。


出典:結婚相談所を比較

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男女の同権を自覚する

ところが新憲法の結果か、敗戦の賜物か、とにかく女性は大いに人間としての権利にめざめ、男女の同権を自覚するにいたったのです。いうべき文句は、相手が亭主関白であろうと何であろうと、いわねば承知しないという心がまえになってしまいました。そこで、一万円ぐらいの月給しか取れないくせに、二度も私を孕ませるなんて、という非難が女房の口からとび出すことになったのでありましょう。これはまことに新時代の妻らしいいい草であります。ところが、考えてみるまでもなく、この新時代の妻のいい草には、ひどく古風な、封建的なものがこびりついています。つまり、夫はいかなるぱあいにも妾の扶養者たるべきものであり、妻は夫の収入だけをあてにすべきだ、という、いわば寄生的な生活態度であります。この妻の思想(?)の中には、旧いものと新しいものとが統一もなしに同居しています。
この妻は彼女の夫を、ただひたすらに、(夫)というレッテルでだけしか眺めていません。彼女は夫を、ひとりの親しい異性としてはもうとう眺めていないのです。もしも彼女が、夫を自分の生活の協力者、仲間、友人と考えていたとしたら、マサヵ「月給一万円ぐらいで、うんぬん」の文句を吐かなかったでしょう。そういう文句をいう前に、夫といっしょに家計について相談もし、自分でも稼ごうと考えていたにちがいありません。すてきな体から緊張感が去っていくのを感じます。



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